(古本武司氏、前列左から4人目、軍服姿。)

ニューヨーク日本歴史評議会の設立メンバーの一人である古本武司氏は、1944年にカリフォルニア州北部のツールレイク強制収容所で生まれました。古本氏は、ベトナム戦争に従軍し、帰国後はPTSDに悩まされながらも、ニューヨーク州とニュージャージー州の不動産業で成功を収めました。同氏は、1980年代後半から1990年代前半にかけて反日差別を経験した後、ベトナム戦争における功績によりニュージャージー州から功労勲章を授与され、その頃から自身の体験を公表するようになりました。

2016年1月、古本氏はニューヨーク市議会で自らの家族の体験について証言し、2017年12月のニューヨーク市による「自由権及び憲法に関するフレッド・コレマツの日」決議の採択に貢献しました。これに続き、古本氏はニュージャージー州フォートリー区でも同様の決議を推進し、2020年1月に成功裏に採択されました。

2021年1月、古本氏は、ニュージャージー州において州レベルの決議の採択に向けて作業を開始しました。複数の委員会で証言する等、古本氏による不断の努力の結果、同決議は採択され、2023年1月30日、トレントン市において、マーフィー州知事により、「自由権及び憲法に関するフレッド・コレマツの日」決議(AJR98)の歴史的な署名が行われました。同署名により、ニュージャージー州は、毎年1月30日にフレッド・コレマツ氏の功績を認め、これを称える日に指定した全米6番目の州となりました。

フレッド・T・コレマツ氏は、米国の公民権運動家です。1942年、当時23歳だったコレマツ氏は、安井稔氏及びゴードン・ヒラバヤシ氏と同じく、米国政府の日系人収容所への入所を拒否しました。コレマツ氏は逮捕された後、政府の命令に背いたとして有罪判決を受け、連邦最高裁判所まで上告しました。1944年、連邦最高裁の意見は分かれましたが、軍事的必要性から収容は正当化されるとして、コレマツ氏に不利な判決が下されました。 

1983年、新たな証拠を入手した無償による弁護団は、政府の不正行為に基づき、40年前のコレマツ氏の裁判を再開しました。1983年11月10日、サンフランシスコの連邦裁判所により、コレマツ氏の有罪判決が覆されました(安井氏とヒラバヤシ氏に対する有罪判決も1986年と1987年に各々同様に覆されました)。1998年、ビル・クリントン大統領からコレマツ氏に対し、全米で最高位の文民栄誉章である「大統領自由勲章」が授与されました。2018年、連邦最高裁は1944年の判決を正式に否定しました。   

ニュージャージー州における決議の採択を受けて、古本氏は、「本日、2023年1月30日は、ニュージャージー州のみならず、人類全体にとって素晴らしい日となった。過去の過ちを認めるだけでなく、立法府を通じて認めることにより、同じ過ちを繰り返さないことを誓う。強制収容所生存者として、同決議の採択の過程で証言し、州議会上下両院において満場一致で決議が可決されたことにより、自分は米国の未来に希望を持つことができた。」と述べました。