日本人作家の活動と世界情勢

1880s
1890s
1900s
1910s
1920s
1930s
1940s
1880
古田土雅堂、栃木県に生まれる。1906年シカゴに移住。数年後、高見順吉博士のもとで松風殿の移築、修復に携わり、ニューヨークに移る。
1880
渡辺寅次郎、福島県に生まれる。1909年頃にニューヨークに移住した。
1884
霜鳥之彦(正三郎)、東京に生まれる。1909年から1920年までニューヨークのアメリカ自然史博物館に勤務。
1884
川村吾蔵、長野に生まれる。1906年にニューヨークに移住。
1885
門脇ロイ(本市)、鳥取県生まれ。1909年、東京三越のテーラーとしてシアトルに渡る。ニューヨークに移住後、1930年代には様々な展覧会に参加。
1885
浜地清松、和歌山県に生まれる。1901年に兄を追ってアメリカ西海岸に渡る。ボストン美術学校を卒業後、ニューヨークで活動。
1886
犬飼恭平は、岡山で生まれ、1900年にハワイに移住。1906年、サンフランシスコからシカゴに渡り、1915年頃にニューヨークに移る。
1886
永井トーマス(富三)は、群馬に生まれ、ニューヨークに移り、1924年から1927年までアート・スチューデンツ・リーグでトーマス・ハート・ベントンに師事した。
1887
清水登之は、栃木県生まれ。1907年にシアトルへ移り、この後、1917年にニューヨークへ移り住む。
1888
保忠蔵は、鹿児島に生まれ、1914年に貨物船で日本を出発し、アジアとヨーロッパを旅した後、1920年にニューヨークに到着した。
1889
石垣栄太郎は、和歌山で生まれ、1909年にシアトルへ移住。サンフランシスコに住み、1915年にニューヨークに移る。
1889
国吉康雄は岡山に生まれ、1910年にニューヨークに移住。 1922年からサロンズ・オブ・アメリカ理事を務め、1939年にアメリカン・グループの会長に就任。 1942年、ニューヨーク在留邦人芸術家委員会で対米忠誠声明を発表。
1896
藤岡昇は日本に生まれ、1910年に渡米。ポートランド美術学校で学んだ後、1916年にニューヨークに渡り、アート・スチューデンツ・リーグで学ぶ。
1898
臼井文平は長野県生まれ。兄とともに世界各地を旅した後、1917年にロンドンに到着、日本に帰国する途中、ニューヨークに立ち寄り、この地に惚れ込んで定住した。
1899
鈴木盛は、岩手県出身。1920年代にサンフランシスコ・アート・インスティテュートで学び、1930年代初頭にニューヨークに移住。
1900
清水清は、清水登之の弟として栃木県に生まれる。1921年頃に渡米し、アート・スチューデンツ・リーグで学ぶ。1924年に兄が渡仏した後もニューヨークに留まる。
1904
イサム・ノグチは詩人の野口米次郎とアメリカ人編集者で英語教師のレオニー・ギルモアとの息子としてロサンゼルスに生まれた。幼少期を日本で過ごす。1922年にニューヨークに移り、1925年に全米彫刻協会の会員となる。1927年、グッゲンハイム奨学金を得てフランスに渡り、ブランクーシに師事。
1904-5
日露戦争勃発
1905
3月
日本倶楽部が高峰譲吉によって設立される。
1907
2月
日米紳士協約が結ばれる。
1907
5月
日本人共済会が、高見豊彦によって設立される。
1908
2月
ジ・エイト展では、街の路地裏や社会風俗を描いて「アシュカン・スクール」と呼ばれたジョン・スローンとロバート・アンリの作品が話題となった。
1911
6月
『紐育新報』発刊
1913
2月−3月
アーモリー・ショーが開催される。
1913
カリフォルニア州で外国人土地法が制定される。市民権が無い外国人の土地の所有禁じられる、また三年以上借地権がなくなる。
1914
3月
高見豊彦と高峰譲吉が中心となり、ニューヨーク日本人会設立。

日本が第一次世界大戦に参戦する。
1917
3月
ロシア革命がおこる。

4月6日
米国が第二次世界大戦に参戦する。

8月
シベリア出兵

11月
ロシアでボルシェビキ政権が発足する。
1917
ニューヨーク日本美術協会の第1回展が山中画廊で開催され、4月には独立美術家協会の第1回年次展が開催された。
1918
2月
2 回目となるニューヨーク日本美術協会の展覧会がマクダウェル・クラブで開催される。
1918
10月
第一次世界大戦終結
1919
1月
アメリカで禁酒法制定

2月
角田柳作がニューヨーク日本人会幹事に就任する。
1920
借地法改正 日本人の借地権の禁止される。
1920
4月
日本人芸術家の団体「日本人画会」成立。
1921
4月
「紐育日本美術協会」が解散する。

5月
「日本人画家」が「画彫会」に改称する。石垣栄太郎宅で会合が開かれる。

6月
角田柳作がニューヨーク日本人会書記長に就任する。

11月
清水登之《ヨコハマ・ナイト》がシカゴアートインステチュートの展覧会でオーガスタス賞に入選するが、日本人であることを理由に取り消しになる。
1922
2月
ワシントン軍縮会議
1922
10月
サロンズ・オブ・アメリカ 第1回年次展覧会を開催する。
1922
2月
ダニエル・ギャラリーで国吉康雄が個展を開催する。

『紐育新報』に国吉康雄「美術我観」が掲載される。

11月
画彫会第1回展覧会を開催する。
1924
7月
排日移民法制定、日本人はアメリカに移民できなくなる。
1925
3月
第9回 独立美術家協会展に石垣栄太郎の《鞭打つ人》が出品され、美術批評で取り上げられる。
1926
3月
第10回 独立美術家協会展で日本人の作品が注目される。

10月
角田柳作「The Japanese Culture Centureの設立に就て」を配布する。
角田柳作が日本人会を退職する。
1927
2月
紐育新報社主催で邦人美術展覧会が開催される。

3月
第11回 独立美術家協会展に日本人の出品多数。

4月
日本人芸術家の団体として「美術同人会」が組織される。
1929
7月
「The Japanese Culture Centure(日米文化学会)」が発足する。

11月
ニューヨーク証券取引所の株価大暴落
1929
11月
ジョン・リード・クラブ結成される。
1931
9月
満州事変
1933
2月
日本が国際連盟を脱退する。

3月
フランクリンD.ルーズベルトが大統領に就任

12月
齋藤博が駐米大使に任命される。日本が国際連盟を脱退。日本は国際社会からますます孤立し、日米間の文化外交を推進するため、斎藤博を駐米大使に任命した。

禁酒法が廃止される。

1933年12月–1934年6月
ニューディ―ル政策のPublic Works of Art Project(PWAP)が行われる。

1934
1月
「紐育美術協会」が成立する。

2月
ロックフェラーセンターでディエゴ・リベラの壁画《十字路に立つ人》が破壊される。
ニューヨーク市美術展覧会がロックフェラーセンターで開かれる。
1935
2月
紐育新報社後援で邦人美術展覧会が開催される。

5月
Works Progress Administration(WPA)始まる。

石垣栄太郎がWPAのハーレム裁判所の壁画製作に従事する。

石垣栄太郎のスタジオで、アメリカ美術家会議の結成に向けた会合が開かれる。

8月
WPAに日本人芸術家の雇用増加する。
1936
4月
紐育新報社後援で邦人美術展覧会が開催される。

1936
2月
ジョン・リード・クラブのメンバーを中心に、「反戦・反ファシスト、文化の防衛」をスローガンにしたアメリカ美術家会議が結成される。

6月
アメリカ美術家会議の第一回競作展に鈴木盛《彼女の過去》が入選する。

11月
鈴木盛ACAギャラリーで個展を開催する。
1937
4月
アメリカ美術家会議第1回年次展覧会が開かれる。日本人6名(国吉康雄、石垣栄太郎、保忠蔵、永井トーマス、鈴木盛、山崎近道)が出品する。
1937
7月
盧溝橋事件が起こる、日中戦争が始まる。

WPAからアメリカ市民権が無い芸術家が解雇される。

9月
ACAギャラリーで「ニューヨークの中国と日本の美術家」展覧会が開催される。

10月
九か国条約が破棄される。

11月
九か国条約会議開かれる、日本は参加を拒否する。

12月
パナイ号事件起こる。

アメリカ美術家会議の企画展「世界のデモクラシーを防衛する スペインと中国の民衆に捧げる」展で、日本人の反戦をテーマにした作品が展示される。
1938
5月
アメリカ美術家会議第2回年次展覧会「平和とデモクラシーと文化の発展のため」展が開かれる。日本人6名(国吉康雄、石垣栄太郎、保忠蔵、鈴木盛、永井トーマス、山崎近道)が出品する。

6月
第31回ニューヨーク市美術展覧会に日本人芸術家9名がグループで参加する。

12月
日本は国際連合を脱退する。
1939
2月
アメリカ美術家会議第3回年次展覧会「摩天楼の芸術」が開かれる。日本人5名(国吉康雄、石垣栄太郎、鈴木盛、永井トーマス、保忠蔵)が出品し、反戦をテーマにした作品が展示される。

7月
日米通商航海条約が破棄される。

8月
ニューヨーク市美術委員会が解散する。

9月
ドイツのポーランド侵攻により第二次世界大戦が起こる。
1940
1月
日米通商航海条約が廃案、日米間は無条約の状態になる。

4月
アメリカ美術家会議第4回年次展覧会「デモクラシーにおける芸術」が開かれる。日本人5名(国吉康雄、石垣栄太郎、永井トーマス、保忠蔵、鈴木盛)が出品する。
アメリカ美術家会議内でメンバーの大量脱退が起こる。

9月
日独伊三国同盟が結ばれる。
1941
7月
米国政府が日本に対し、石油輸出の禁輸、米国内の日本資産の凍結を含む貿易制裁を発動。

12月7日
日本が真珠湾を爆撃し、米国が対日第二次世界大戦に参戦するきっかけとなる。

12月12日
ニューヨーク在住の日本人芸術家委員会の国吉康雄、保忠蔵、永井トーマス、鈴木盛、門脇ロイ、田川文治、レオ・アミノがアメリカに忠誠を誓う声明文を出す。
1942
2月−3月
二度に渡り、国吉康雄が日本向け短波放送でデモクラシーの尊さを訴えるスピーチをする。

保忠蔵がOffice of Strategic Service(OSS)の活動に従事する。