世界恐慌とニューディール政策
1929年の秋、ニューヨーク株式市場の株価は大暴落し、1930年代は世界恐慌になりました。未曽有の大不況によりギャラリーは閉鎖され、画家たちはパトロンや美術館の援助を失い、生活は困窮していました。アメリカ大統領フランクリン D. ルーズベルトは、ニューディール政策を打ち出します。政府の雇用政策の一環として1933年から半年間の期限付きで施行されたPublic Works of Art Project (公共芸術事業計画、PWAP)は、1935年にWorks Progress Administration(雇用促進局、WPA)に引き継がれました。WPAの文化部門には芸術、演劇、文学、音楽、歴史調査の5つがあり、このうち芸術部門であるFederal Art Project(連邦芸術計画、FAP)は、芸術家に公共施設の壁画などの制作を依頼し、失業者した芸術家の援助を目的にした政府主導の政策でした。FAPには壁画、イーゼル、彫刻、ポスター、写真、グラフィック・アート、工芸、アメリカのデザイン目録の制作の8つの部門があり、壁画部門では石垣栄太郎や鈴木盛が壁画に従事していました。