1927年
邦人美術展覧会

Fig. 53. 藤岡昇《チャールストン》
Fig. 54. 藤岡昇《アメリカン魂》
Fig. 55. 平本正次《蝶々夫人》
Fig. 56. 平本正次《楽人》
Fig. 57. 犬飼恭平《自画像》
Fig. 58. 石垣栄太郎《尼僧と少女》
Fig. 60. 村田紅雪《春宵》
Fig. 61. 清水清《14丁目》
Fig. 62. 清水登之《ヨコハマ・ナイト》
Fig. 63. 角南壮一《吾が母》
Fig. 64. 都筑隆《風景》
Fig. 65. 臼井文平《家具工場》
Fig. 66. 臼井文平《小娘》
Fig. 67. 川村吾蔵《フレデリック・マクモニス》
Fig.137 川村吾蔵《哲学》
Fig.138 川村吾蔵《美》
Fig.139 川村吾蔵《市民道徳》
Fig.140 川村吾蔵《Authority of Law》,《Contemplation of Justice》
Fig.141. 川村吾蔵《Authority of Law》
Fig.142 川村吾蔵《Contemplation of Justice》
Fig. 68. 渡辺寅次郎《自画像》
Fig. 69. 吉田石堂《イースト河》

日本人芸術家は、紐育新報主催の邦人美術展覧会に出品した作品を互いに称賛しました。しかし、英字新聞にはこの展覧会の展示を厳しく評価するものもあったようです。『紐育新報』は、現地の有力紙に掲載された展覧会の批評を翻訳し、アメリカ社会における評価を伝えました。

 

「紐育新報社主催紐育在留日本人美術家の展覧会は我々の前に再び美術に対する民族の固執性といふ問題を提供して呉れた。[…]特に我等の興味を惹くのはその源泉が純真な日本人味に満ちていることである。素より泰西の流れを汲んだ幾多の画[…]など彼等の同化性を優秀に発揮したものもあるけれどもこれによりて日本人味を消すやうなことはないのみならず、展覧会の全般を通じて受ける印象は彼等の国民性なるものが鮮明に示されていることである。[…]日本人がその美術的習性を泰西化していることは我々に対する大きなコンプリメントではあるが、日本人は飽くまでも日本人としての習性に忠実であることは彼等に対する最も大きな報ひであらなければならない。」

(「『日本人味』を忘れないで 特色のある美術展 ヘラルド トリビュン紙の批評 昨今売約の交渉がぽつりぽつり」『紐育新報』1927年2月23日)

 

「多数の日本人美術家諸氏は打ち見た処日本人として祖先から受けた最も尊い賜物を捨てゝ何処までも泰西思潮とその実際に近づかうと焦り、従てその観察眼は泰西化したものと思惟しているらしいけれどもそれが泰西の観察眼でないことは勿論である。この芸術的混乱は己むを得ないものであらうが、而かも米人の眼から見るならばそれがいかにも沐猴に冠と云ったやうな感じから免れることは出来ない。」

(「尊い日本人の伝統を捨て乍ら泰西化し切れない美術展 タイムスのケリー女史が鋭い批評〔アート・センターに於ける邦人美術展の賑ひ〕」『紐育新報』1927年2月26日)

 

1927年に開かれた紐育新報主催の邦人美術展覧会は、既にアメリカの美術展覧会で話題になった日本人の新進画家の作品を一堂に展示した展覧会でした。しかし、それらの展示もアメリカの人々には西洋画の模倣として映り、むしろ日本人は東洋の伝統を活かすべきであると批判的な意見が目立つ結果になりました。