1927, 1935, 1936
紐育新報主催による
邦人美術展覧会
1920年代のニューヨークで日本人芸術家は、独立美術家協会やサロンズ・オブ・アメリカの展覧会で作品を発表していました。いっぽう画彫会の芸術家の交流も続いていました。そして1927年2月16日から3月5日にアート・センターで紐育新報社主催の邦人美術展覧会が開かれます。
ここには、藤岡昇、藤井菊江、浜地清松、平本正次、犬飼恭平、石垣栄太郎、加藤健太郎 、川村吾蔵、北森セイヨウ、国吉康雄、三鬼良吉、三崎道夫、村田紅雪(雪子)、齋藤龍江、清水清、清水登之、角南壮一、保忠蔵、寺徹圓、都筑隆、臼井文平、渡辺寅次郎、吉田石堂、イサム・ノグチ、横内キヨハルの合計25名55点の絵画や彫刻が展示されました。
『紐育新報』は、邦人美術展覧会の開催を次のように述べています。
「日本人美術家の作品が漸く米国の美術界にその価値を認められる機会に到達したことは、文化を通じて国と国との親交を温めるることを理想とする我々在留民にとりては、まことに喜ばしい現象であります。[…]本社同人は、一は以てこれ等美術家諸氏が平素の努力に酬ゆると共に、美術を通じて更らにアメリカとの国交を温める意味に於て、美術を鑑賞される人々の賛同を得たる上、本社主催の第一回邦人美術展覧会を開催することに致しました。」
(「本社主催『邦人美術展』来年二月一日より二週間に亘り東部在留邦人美術家を網羅して」『紐育新報』1926年11月17日。)
当時、ニューヨークでは日本人会の角田柳作を中心に、日本の文化をアメリカに紹介し、日米親善を推進することを目的とした「日米文化学会」の構想がもちあがっていました。この展覧会は、ニューヨークの日本人社会で日米親善の機運が高まる中で、紐育新報社が企画した展覧会であり、そこにはアメリカの美術界で話題になった日本人の作品を展示し、日米の文化交流を図る意図があったと考えられます。