年表
1885
新渡戸稲造、メリーランド州ボルチモアでクエーカーに改宗。
1885
1887
東京に日本初のクエーカーの女子校が設立され、普連土女学校と命名される。
1887
1900
津田梅子、津田塾大学(旧女子英学塾)を創立。
1900
1902
河井道、ニューヨークのシルバーベイで初めてYWCAのキャンプに参加し、生涯の付き合いとなる。
1902
1911
新渡戸稲造がカーネギー国際平和財団の初代交換教授に任命され、ニューヨークのコロンビア大学をはじめ、米国各地大学で講義を行う。
1911
1918
新渡戸稲造が東京女子大学を設立、初代学長に就任。
1918
1920
ナルシッサ・ヴァンダーリップが、夫のフランクと共に初めて日本を訪れ、日本のフェミニスト・グループとつながりを持つようになる。
1920
1923
関東大震災が発生し、津田塾大学を含め、東京の殆どの施設が壊滅的な被害を受ける。
1923
1924
アナ・ハーツホン、フィラデルフィアに「津田塾大学臨時救済委員会」本部を設置し、ニューヨーク支部長に、ナルシッサ・ヴァンダーリップを任命する。
1924
1926
臨時救済委員会のニューヨーク支部は、学校再建に必要な総額の40%にあたる20万ドル(現在のおよそ170万円)以上を集めることに成功。
1926
1928
星野愛、ニューヨークのコロンビア大学教育大学院で修士号を取得。
1928
1929
河井道、現在の恵泉女学園大学の前身である恵泉女学園を設立。
1929
1932
津田塾大学の新キャンパスが完成し、本館が「ハーツホン・ホール」と命名される。
1932
1943-1944
クエーカーのヒュー・ボートンとゴードン・ボウルズを含む米国務省職員が、第二次世界大戦で連合国が勝利した場合における日本の教育制度の改革案の作成を始める。
1943-1944
1945
日本が降伏し、連合国軍最高司令官総司令部(SCAP)が設置される。日本社会は、米国占領軍とSCAPによって、政治、経済、産業、教育など、さまざまな面で変化を遂げ始める。河合、星野がSCAPに参加し、全国に女子教育を普及させる。
1945
1946
1946年、米国教育使節団が来日。ニューヨーク州教育長官ジョージ・ストッダードを団長とし、ニューヨークのバーナード大学学長バージニア・ギルダースリーブ、コロンビア大学教授ジョージ・S・カウンツらを含む27名が参加した。さらに、日本の教育関係者にも協力を仰ぎ、様々な面で指導を受けた。
1946