「アジア救援公認団体」(LARA)は、日本と韓国で活動していた北米の慈善・宗教団体(当初は11団体で最終的に14団体)による民間の救援活動を代表し、統括機関として、1946年4月に組織されました(LARAはニューヨークに本部を置き、偶然にも同じクエーカーが会長を務めていました)。中でも中心的な役割を担ったのは、教会世界奉仕団、AFSC、戦時救済奉仕団でした。
ララ物資は、GHQ(連合国軍総司令部)により提供された免税措置や優先順位を踏まえ、福祉物資の大量輸送を行う唯一の米国機関でした。救援物資の配布は、日本の福祉機関を通じて、出生、宗教、政治的属性に関係なく、必要性に基づき行われ、受益者の費用負担はありませんでした。1946年11月から1952年6月まで、ララ物資は3,300万ポンドの食料、衣類、靴、綿、石鹸、医薬品、また、2,000頭以上の山羊、45頭の乳牛を配布し、合計458隻の船舶で輸送されました。これらの物資の約20%は、ニューヨークの日系米国人をはじめ、北米及び南米の日本人や日系人からの寄付でした。