香西次郎(旧姓松井)は鳥取県出身の一世で、1911年にアメリカに移住し、執筆家、出版者、 そして 1924年に設立したJapanese-American新聞のオーナーであった。ニューヨーク日本人会会長も務めたが、第二次世界大戦中はエリス島に収容され、最終的には日本に送り返された。
次郎は1920年代に香西タツオの娘、文代と結婚した。彼女はアメリカで生まれ育ちで、ノースフィールド・セミナリー・フォー・ヤング・レディース(現ノースフィールド・マウント・ハーマン・プレップ)に学んだ。文代の父であり、次郎の義理の父でもある香西タツオは、最も早くニューヨークに移住した日本人の一人である。タツオは、パリ万国博覧会(1900年)、ルイジアナ・パーチェス万国博覧会(1904年)、ポートランド(オレゴン州)、ベニス(カリフォルニア州)、ノーフォーク(バージニア州)で開催された国際博覧会(1905年)、国際博覧会(1907年)の日本代表団に任命された。1909年、妻のコウとともに松江からニューヨーク州オンタリオに移住し、1915年にニューヨークに移り住んだ。タツオは1915年からニューヨーク日本人会の会員でもあり、後に同会の理事も務めた。日本から輸入した磁器、翡翠、象牙ブロンズなどの美術品を販売するビジネスを立ち上げたが、世界恐慌のさなかに日本に帰国した。 DeepL.com(無料版)で翻訳しました。
Source: Daniel H Inouye, Esq., Ph.D., Distant Islands: The Japanese American Community in New York City, 1876–1930s
このコレクションは、次郎の孫であるランス・B・スチュアートからニューヨーク日系人会に寄贈されたもので、1911年から1940年までの個人的な記録、手紙、写真、スクラップブックが収められている。