ウィロー グローブ墓地

ニュージャージー州ニューブランズウィック市のモリス・ストリート脇に位置するウィロー・グローブ墓地の一画に、日本人八名を埋葬した日本人墓地がある。ここは、1870年にラトガース・カレッジを卒業する2週間前に結核のため26歳で亡くなった日下部太郎(八木八十八、1845-1870)の埋葬地として、帝国政府に代わって日本領事館が購入したものである。日下部は1867年にラトガースに入学。アメリカの大学を卒業した最初の日本人学生であり(学位は死後に授与された)、日本人初のファイ・ベータ・カッパ会員でもあった。他にも下記七名の日本人がここに埋葬されている。そのほとんどが、留学生として渡米し、ニューヨーク近郊で亡くなった若者たちである。

 

長谷川雉郎 (11月18日ニューヨーク州トロイにて死去。23歳。)

松方蘇介 (1872年8月13日死去。22歳。)

小幡甚三郎 (1873年1月20日ブルックリンにて死去。29歳。)

入江音次郎 (March 20, 1873年3月20日ニューヨークにて死去。19歳。)

高木三郎 と須磨の幼女 (1877年9月5日死去。)

川崎新次郎 (1885年3月21日 ニューヨーク州ポキプシーにて死去。21歳。)

坂谷達三 (1886年4月14日ニューヨークにて死去。26歳。)

 

七つの大理石のオベリスクの側面には、漢字で名前、出身地、生没年が記されている。墓標は1977年に、大武幸夫福井市長がニューブランズウィックを訪れた際に2千ドルを寄付して修復された。同年10月18日には、カークパトリック・チャペルにおいて、ニューヨーク仏教会の関法善導師による、日本人留学生のための合同慰霊祭(日下部太郎百年忌)が営まれた。この追悼式には、ラトガース大学のエドワード・J・ブルースタイン学長と大武市長が出席した。また1991年には、ニューブランズウィック市との姉妹都市提携30周年を記念して、高木三郎(庄内藩<現在の山形県鶴岡市>出身)・須磨夫妻の幼女の墓石が鶴岡市によって建て替えられ、墓地の入り口に石碑が建立された。ニューブランズウィック市は姉妹都市提携事業の一環として、ニューヨーク仏教会、シーブルック仏教寺院、バージニア州惠光寺の協力を得て、毎年夏にこの墓地に埋葬されている日本人留学生を偲ぶお盆の法要を営んでいる。

 

参考:

“Japanese Section, Willow Grove Cemetery”. RUcore: Rutgers University Community Repository. https://doi.org/doi:10.7282/T3KW5GG9.

酒井康之  『あれから40年ー日本人をアメリカに認識させた幕末の海外留学生』 (2017). http://kusakabegriffis.com/pdf/Forty-years-since-then.pdf

ウィロー・グローブ墓地.  http://www.willowgrove.nbfpl.org/.

Subject:
ウィロー・グローブ墓地
Year:
1870
PDF:
willow-grove-burial-list-pdf