栃木県出身。東京の成城学校で学んだ後、陸軍士官学校の受験に失敗する。絵画の習得のために1907年にシアトに渡り、フォッコ・タダマの画塾で学ぶ。1917年にニューヨークに移り、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインで学んだ後、アート・スチューデント・リーグのケネス・ヘイズ・ミラーやジョン・スローンに師事する。1919年から1924年の独立美術家協会展、1922年のサロンズ・オブ・アメリカの展覧会に出品。1920年に結婚のため一時帰国した際に滞在した横浜を描いた《ヨコハマ・ナイト》は、1921年のシカゴ・アート・インステチュートの年次展覧会で入選するが、日本人であることを理由に受賞が取り下げられる。1922年の画彫会の展覧会、1927年の紐育新報社の邦人美術展覧会に出品した。1923年にブルマー・ギャラリーで個展を開催。1924年に画家三宅克巳とフランスに渡り、パリのサロンにも入選する。1932年から、日本の従軍画家として中国や南方に従軍する。1945年に疎開先の栃木県生家で死去。
参考: 武蔵野文化事業団『清水登之展』(展覧会図録) 武蔵野市民文化会館 (1991)、栃木県立美術館『清水登之展』(展覧会図録) 栃木県立美術館 (1996)、栃木県立美術館『栃木県立美術館所蔵 清水登之』(展覧会図録) 栃木県立美術館 (2007)、とちぎ蔵の街美術館 『没後70年 栃木に生きる清水登之』(展覧会図録) とちぎ蔵の街美術館 (2016)、『紐育新報』、『日米時報』