日系ウィークエンダー・リーグ、ニューヨークの日本人ソフトボール・リーグ

1946年5月、カリフォルニア州ツールレイクにあった最後の戦争移転局が閉鎖された数ヵ月後、ニューヨークで日本人だけのソフトボールリーグが結成された。1946年5月30日発行のニューヨークの日系人向け新聞『二世ウィークエンダー』誌に、日系ソフトボールチーム「ウィークエンダー・リーグ」の発足が発表される。「ウィークエンダー・リーグ」という名前は、同新聞の名前に由来している。その記事には、リーグの結成についてこう書かれている: 「野球に熱心な日系人達が、11時間の及ぶ、7試合を熱狂的に見守った。各チームは日系企業や地元の宗教団体から出資を受け、第二次世界大戦後初めて日本語で発行されたニューヨークの新聞「北米新報」から寄贈された銀のトロフィーをかけて競い合った。

マサヒコ ・ラルフ・タカミ博士(1912-1967)が日系人リーグ開幕戦の始球式を行った。ラルフは、1907年に日本人互助会(1914年に日本人会と改称、現在はニューヨーク日系人会)を設立したニューヨークの一世、トヨヒコ・キャンベル・タカミ博士(1872-1945)の息子である。幼少の頃、ラルフと弟のモリヒコ(1915-1993)は、ローレンスヴィル・スクールの裕福なトッピング兄弟(ダニエル・R・トッピング、と、ヘンリー・J・トッピング・ジュニア)と同級生だった。ダン・トッピングはその後、1945年から1964年にかけてヤンキースの共同オーナーを務め、1948年から1966年には社長を務めた。

Subject:
The weekender league
Year:
1946
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