初の日本人女子留学生

1871年、明治政府により、欧米諸国との外交、海外の技術や文化を視察することを目的として岩倉使節団が派遣された。岩倉具視率いる使節団は政府の首脳や、留学生で構成されていた。留学生の中には外国で教育を受ける最初の日本女性となる6歳から16歳の幼い少女も含まれていた。 写真左から永井繁子、上田悌子、吉益亮子、津田梅子、山川捨松である。 この5人は1871年12月横浜港を出港し米国への航海に出た。 米国には10年滞在の予定であったが、上田と吉益はホームシックを訴え(一説では病気・体調不良)その後帰国。永井、津田と山川の三人は外国の文化に順応して10年間米国で過ごし勉強を続けた。 津田梅子は日本へ帰国後、日本女性の置かれていた低い状況に驚き、その地位向上の為女子教育に力を注ぐことを決意した。そして、梅子と共に米国に渡った 山川捨松 (帰国後は結婚し大山捨松となる)や数人の友達と共に津田塾大学を創立した。梅子と捨松は現代日本女性教育の先駆者、貢献者として今でも知られている。

Subject:
岩倉使節団
Year:
1871
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