千葉県市原市で生まれる。現在千葉大学として知られている第一高等学校を卒業。1905年にニューヨークに移った。彼は野口英世を訪ね、二人はすぐに打ち解けて同居し、1つの部屋に診療所を開設した。ニューヨーク大学でX線の扱い方を学び、1890年にヨーロッパ経由で日本に帰国した。日本で放射線治療の先駆的な役割を果たしたが、手に放射線誘発癌を発症し、約5回手術を受けたが、1945年に自宅で亡くなった。