世界恐慌が始まった頃、江見啓司ロバートはオレゴン州で生まれた。まだ幼い頃、彼の家族はシカゴへ移り、父親はノースウェスタン大学歯学部で学んだ。1933年には日本の芦屋へ移った。 軽度の肺結核で自宅療養を行った後、ニューヨーク市で著名な医師であった叔父の江見三朗に招かれて彼は再度アメリカへ戻った。1年間英語修練のために高校に通い、ニューヨーク大学医学部進学課程へ進んだ。バージニア医科大学卒業後、血液学への興味が強くなっていった。1961年から2年間、海軍に医務官として従事した。その後、ルーズベルト病院の内科医となり、コロンビア大学では学生に医学を教えた。 ニューヨーク日系人会(JAANY)で理事を務めるなど、何年にもわたって、日本人コミュニティの中で精力的にボランティア活動を行った。 1994年に勲四等瑞宝章を天皇陛下から授与された。妻の順子も小児科医・内科医であった。
ニューヨーク日系人会