1910年にアメリカに渡る。ポートランド美術学校で学んだ後、1916年にニューヨークに移り、アート・スチューデント・リーグで、ジョン・スローン(John Sloan)、フランク・デュモント(Frank Dumont)らに師事する。また熊崎恭の支援で1919年から2年間、パリのフランス近代美術学校で学び、1921年にニューヨークに戻る。
1924年から1927年の独立美術家協会展と1924年から1927年のサロンズ・オブ・アメリカ、1927年の紐育新報社の邦人美術展覧会に出品する。1924年に日本クラブで個展を開催、1927年にスタンフォード大学の美術館とサンフランシスコのリンコルン公園で個展を開催する。
1934年には日本に帰国しており、同年、朝日新聞社画廊、日本橋三越、銀座の青樹社画廊でアメリカ、フランス時代の作品を展示した個展を開催する。
参考:Special Exhibition of Works by Noboru Foujioka (Exhibition catalog, The Nippon Club, 1924)、東京朝日新聞社『油絵 藤岡昇 滞欧作品展目録』(展覧会図録) 東京朝日新聞社画廊 (1934)、日本橋三越『藤岡昇氏 滞欧作品展覧会目録』(展覧会図録)東京日本橋三越 (1934)、青樹社『藤岡昇氏 近作洋画展覧会目録』(展覧会図録)青樹社画廊(1935)、『紐育新報』、『日米』、『新世界』
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