1911年に進行性麻痺性疾患の原因となる梅毒の病原体を発見した著名な日本の細菌学者。1876年福島県猪苗代町に生まれる。1歳半の時に囲炉裏に落ち、左手に大火傷を負った。野口は困っている人を助けるために医者になることを決心し、左手の手術をしてくれた医師である渡部鼎医師に弟子入りした。米国に移住し、ペンシルベニア大学医学部で助手として働いた後、ロックフェラー医学研究所の研究者になった。主に細菌学の研究に従事し、黄熱病と梅毒の研究で知られている。数多くの論文を発表し、ノーベル医学・生理学賞の候補者として3回名前が挙がったが、1928年にゴールドコースト(現・ガーナ共和国)のアクラでの研究中、彼自身も病気になり、51歳で亡くなった。
野口英世記念館