カリフォルニア州ロサンゼルス生まれのジョージ・湯沢とその家族は、第二次世界大戦中にコロラド州グラナダのアマチ収容所に収容された。彼は、1981年にニューヨーク市で開催されたリドレス運動(第二次世界大戦中の日系人強制立ち退き・収容政策に対して修正、救済、補償を求めた運動)に対する公聴会の実現において大きな役割を担ったが、それにはこの経験が大きく影響していた。 園芸の専門家であった彼は、日本人コミュニティに園芸産業を広め、ブルックリン植物園やフラッシング・メドウズ・コロナ公園での桜祭りの開催に尽力した。数々の社会的・政治的団体に参加して人種差別と闘い、高齢の市民を救済することを提唱した。妻と共に勤勉なボランティアであり、日本語キリスト教会のリーダーでもあった。日本語キリスト教会は、高齢者への寄付や支援を他のコミュニティや団体から集めるためのボランティアコミュニティを作り、その活動を広げて大きくなるように手助けした。また、1870年代および1880年代に亡くなった8人の日本人が眠っているニュージャージー州ニューブランズウィックのウィローグローブ墓地において、日本人墓地区画の改修を先導した。 1983年に天皇陛下から授与された勲五等瑞宝章をはじめとして様々な賞を受賞している。