ユージェニー・クラーク博士、魚類学者、レディとサメ(原題:The Lady and the Sharks)」の著者

2022年はユージェニー(“ジェニー”)クラーク博士(1922-2015)の記念すべき生誕100周年である。“シャークレディー”として知られる彼女は、獰猛な肉食動物というサメの一般的なイメージに異を唱えてその保護を提唱した人物である。

アメリカ人の父、チャールズ・クラークとアメリカに帰化した日本人の母、元見由美子との間にニューヨーク市で生を受けた。彼女が2歳の時にチャールズが亡くなった後は、由美子の兄弟である元見“ボー”ウォルターが彼女の父親代わりとなった。1942年に、由美子は日本食レストランのオーナーであるマサトモ・ノブと再婚した。彼女が通ったクイーンズ・ウッドサイドの学校では、彼女が日本人の血を引く唯一の生徒であったため、家で海藻・ウニ・魚の刺身などを食べるという彼女の話は、クラスメートにとって衝撃であり面白いものだった。そして、バッテリーパークにあったニューヨーク水族館を訪れたことが、9歳とまだ幼かった彼女の海洋生物に対する好奇心に火をつけた。

1950年にニューヨーク大学で動物学の博士号を取得した後、1955年にケープヘイズ海洋研究所(現モウト海洋研究所)を設立した。視覚的なヒントから標的を選ばせるようにサメを訓練できるという方法を示すことで、サメが知性豊かな生物であり、海洋生態系において重要な役割を果たしているということを証明した。また、日本とメキシコの海中洞窟で眠るサメを観察したことによって、サメは生きるために絶えず動き回らなければならないという俗説を覆した。さらに、紅海のウシノシタ(シタビラメとも言われるカレイ目の魚)に対する研究では、初めて自然由来のサメに対する忌避剤を発見することとなった。慈善家であるアンとウィリアムのヴァンダービルト夫妻のサポートのもと、モウト海洋研究所を発展させて海洋生物学研究を牽引する施設の一つへと変貌させた。1968年にはメリーランド大学生物学部の教員となり、30年近く従事した。 クラーク博士は200以上のフィールド調査遠征を主導し、72回の潜水艇ダイビング(最大で水深12,000フィート)を行い、水中研究用のスキューバ用具を開発する先駆者ともなった。海洋の知識を広く伝えることに不断の努力を行い、サイエンス誌とナショナルジオグラフィック誌に数々の論文を投稿し、「もりを持ったレディ(原題:Lady with a Spear)」(1953)と「レディとサメ(原題:The Lady and the Sharks)」(1969)の2冊の本を書き上げた。さらに、世界中を飛び回り、小学生から日本の明仁天皇(現上皇)に至るまで様々な聴衆に講演を行い、魚類学の面白さを伝えた。

1967年、明仁皇太子(当時)はマイアミにクラーク博士を招待して、美智子皇太子妃(当時)および随伴していた使節団に引き合わせた。彼女は当時のことを次のように回想している。「深夜近くになった時、総領事をはじめとして眠くなっている様子だったので、そろそろ帰るというジェスチャーをしたわ。ところが皇太子は『私は全く眠たくないです』と言い、反対に『私に素潜りを教えてくれませんか』と私に尋ねて来たの。『いつですか?』と聞いたら『明朝5時ごろなら大丈夫です』と答えたの。総領事は目と口を丸くして驚いていたわ。」翌朝、彼らはダイビングに行き、皇太子は12匹のハゼを捕まえて日本へ持って帰った。

博士は2014年に93歳で亡くなる1年前までディープダイビングを指導し続けた。

Subject:
Clark, Eugenie
Year:
1922-1915
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