賀陽宮恒憲王(かやのみや つねのりおう、1900年1月27日 – 1978年1月3日)は、軍人として陸軍中将に昇り東京・名古屋の各部隊の師団長や、陸軍大学校長などを歴任した。
一方で、早くから大戦終結の決断を昭和天皇に求めた。また、終戦が決まると皇族の臣籍降下も主張した。1947年10月14日臣籍降下し、その3日後には区役所にて住民手続きし賀陽 恒憲(かや つねのり)となる。臣籍降下直後に公職追放となる。
「平民的な宮様」として国民に慕われ、生活ぶりは質素であった。「野球の宮様」とも称され、1934年にはアメリカ・ニューヨーク、ヤンキー・スタジアムで試合を観戦した。この晩餐会は、この際に行われた。
ランス・B・スチュアート、香西次郎ファミリー・コレクション(JAANY寄贈)
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