栃木県出身。清水登之の弟。1921年頃アメリカに渡り、アート・スチューデント・リーグで学ぶ。1924年に兄、登之が渡仏した後もニューヨークに留まり、創作を続ける。1925年から1928年と1931年の独立美術家協会展、1925年から1929年と1931年のサロンズ・オブ・アメリカ、1927年、1935年、1936年の紐育新報社の邦人美術展覧会、1937年のWPAから解雇された中国と日本の芸術家の展覧会に出品した。日本語新聞に美術批評を寄稿している。1977年にアズマ・ギャラリーで開かれたHalf Century of Japanese Artists in New York, 1910’-1950’でも作品が展示された。
参考:Half Century of Japanese Artists in New York, 1910’-1950’(exhibition catalogue: Azuma Gallery, 1977)、東京都庭園美術館『戦後50年企画 アメリカに生きた日系人画家たち—希望と苦悩の半世紀1896-1945』(展覧会図録) 日本テレビ放送網 (1995)、『紐育新報』、『日米時報』