保忠蔵

鹿児島県出身。中学卒業後、兄を頼って上京し、専修大学で政治経済を学びながら、個人教師について美術を学んだ。1914年に貨物船に乗り日本を離れ、アジア諸国、ヨーロッパを経て1920年にニューヨークに到着。アート・スチューデント・リーグで学ぶ。1924年から1938年まで独立美術家協会展、1924年、1927年から1932年までサロンズ・オブ・アメリカに出品する。1927年、1935年、1936年の紐育新報社の邦人美術展覧会、1937年のWPAから解雇された中国と日本の芸術家展、1938年のニューヨーク市民美術展覧会の第31回展覧会に出品したほか、1936年から1940年のアメリカ美術家会議の年次展覧会、1937年12月の「世界のデモクラシーを防衛する」展に出品。アン・アメリカン・グループのメンバーでもあり、1930年代からアメリカ美術家会議の展覧会を中心に反戦を題材にした作品を発表した。ニューヨーク在住の日本人芸術家委員会でアメリカに忠誠を誓う声明文を出している。戦時中はOSS(Office of Strategic Services)の戦略局の従軍画家として東南アジアに派遣された。戦後サンタフェに移りすみ、1975年に同地で死去。1977年にアズマ・ギャラリーで開かれたHalf Century of Japanese Artists in New York, 1910’-1950’でも作品が展示された。

参考:Half Century of Japanese Artists in New York, 1910’-1950’(Exhibition catalogue:  Azuma Gallery, 1977)、熊本県立美術館『壁画帰郷記念展—野田英夫そして多毛津忠蔵』(展覧会図録) 熊本県立美術館 (1992)、『紐育新報』、『日米時報』

 

Subject:
Tamotzu, Chuzo
Year:
1888-1975
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