石垣栄太郎と鈴木盛の壁画
Fig. 79. 石垣栄太郎《ハーレム裁判所の壁画(「奴隷解放」の部分)》
Fig. 80. 石垣栄太郎 壁画製作時の写真
Fig. 81. 石垣栄太郎 壁画製作時の写真
Fig. 82. 石垣栄太郎 壁画製作時の写真
Fig. 83. 石垣栄太郎 ハーレム裁判所の壁画
Fig. 84. 石垣栄太郎 壁画製作時の写真
Fig. 85. 石垣栄太郎 壁画製作時の写真
Fig. 86. 石垣栄太郎 壁画製作時の写真
『紐育新報』は、壁画の完成を伝えています。
「世界的大科学者で死後人類の救主とまで絶賛されて居る故野口英世博士の壁画がウイラアドパアカア病院内に輝やかしくも最近漸く完成した。この揮毫主任は前年桑港で苦学し加州美術学校をした岩手県盛町出身の鈴木盛氏(三十四歳)である。同氏は名誉あるこの選に入るや、あらゆる方面から故博士を研究し約一年余を費したが、無名の新進画家をして想ふが儘に描かしたと云ふには驚異とされて居る。」
(「故野口博士の壁画完成 画家鈴木盛氏の名誉」『紐育新報』1937年6月16日)
石垣栄太郎はこれらの作品を含む、合計4枚の壁画を制作する予定でした。しかし、1937年7月にWPAは経費を削減するため、アメリカの市民権が無い芸術家の解雇を決めます。これにより、石垣栄太郎も壁画の制作途中でWPAから解雇されてしまいました。この後、壁画制作は主任不在のまま助手たちの手で続けられ、1938年にようやく完成します。ところが壁画に描かれていた人物の描写が非難され、壁画は撤去される結果となりました。