マサコ・メアリー・ヤマダ(1920-2010)はカリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。医師を目指したが、女性の枠が二人しかない大学への入学は叶わなかった。コロンビア大学で教育学の学士号と修士号を取得する傍ら、外科の副指導医や小児科の主任指導医などの職を歴任した。第二次世界大戦が始まると、幾度となく志願したが、日本人の先祖を持つという理由で、当初はアメリカ陸軍に採用されなかった。しかしその後、陸軍看護婦部隊(ANC)に入隊し、一等陸尉まで昇進した。海外勤務の機会はなかったが、ANC在籍中はさまざまな役割を果たした。退役後は教育委員会に入り、公立学校の教師となった。1962年、二度目の修士号を取得した後、ガイダンス・カウンセラーとなり、定年までその仕事に従事した。
ニューヨーク日系人会